教会長メッセージ

「南無」ということ


2015年6月13日

 経典を読誦(どくじゅ)させていただくと読み上げる「南無」の回数は、なんと67回にもなります。これが朝夕(ちょうせき)のご供養として2回読誦させていただくならば2倍の134回。さらに道場参拝を行い、行事や活動の際にもお題目を三唱しますが、これらを含めると多い日には200回ぐらいは「南無」と唱えていることになります。私たち仏教徒の一日は、「南無」「ナム」だらけなのです。
 さて、今月の会長法話では、お題目をより端的(たんてき)に示せば「南無真実」であると教えてくださっています。「南無」には帰依(きえ)や帰命(きみょう)、委(ゆだ)ねるという意味があることから、「南無真実」とは、真実のままに委ねるということになり、意訳すれば、仏さまのはからいにお任(まか)せしますということになるのです。
 私たちが日ごろ唱えるこのお題目が仏さまのはからいにお任せしますという「南無」なのか、それともただ単純に枕詞(まくらことば)のように唱えているだけの「ナム」なのか。この心の入れ方によってご守護のかかり方に違いがありそうです。
 日蓮聖人は「南無妙法蓮華経」と唱えれば自身の仏性が呼び覚まされると諭(さと)しています。本会でも青梅練成会などで行われた唱題修行にその真髄(しんずい)を見ることができます。
 一日に数十回、数百回と唱えるお題目に「仏さまのはからいにお任せします」という心を乗せて、自らの仏性を本気で覚醒(かくせい)させるひと月とさせていただきましょう。覚醒してこそ、本物の信仰者となるのです。

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