教会長メッセージ

未熟を自覚する


2015年4月 5日

 お釈迦さまのお弟子さんに、物覚えの悪いシュリハンドクという人がいました。
心配した兄の導きで仏門に入りましたが、優秀な兄と違い、いくら修行をしてもお経の一句さえも覚えられません。周囲から疎(うと)まれたシュリハンドクは、とうとう兄からも見放され「修行をあきらめて家に帰りなさい」と勧(すす)められます。自分の愚(おろ)かさを嘆(なげ)き教団を去ろうとするのですが、お釈迦さまから「自らの愚(ぐ)を知る者は真の知恵者である」というお言葉をいただいて思いとどまったのです。
 お釈迦さまは彼に一本の箒(ほうき)を与え、精舎(しょうじゃ)の掃除を勤(つと)めさせます。そして、「塵(ちり)を払わん、垢(あか)を除(のぞ)かん」と繰り返し唱えるように教えました。何年も掃除を続け、精舎を隅々まできれいにすることができるようになったシュリハンドクは「きれいになったでしょうか?」とお釈迦さまに尋ねます。しかし、お釈迦さまはうなずかれません。それでも彼は自分の修行だと思って黙々と掃除を続けるのでした。
 ある時、掃除を終えたところに子どもたちがやってきて、きれいにした場所を汚(よご)してしまったのです。頭に来たシュリハンドクは「どうして汚すんだ!」と思わず叫(さけ)びます。そのとき彼は閃(ひらめ)きました。汚れているのは自分の心であると。シュリハンドクは心の塵と垢を取り除き、ついに悟りを得たのでした。
 さて、今月は降誕会の月です。お釈迦さまは成道なされた際に、「奇(き)なるかな、奇なるかな、一切衆生悉(ことごと)くみな、如来の智慧・徳相(とくそう)を具有(ぐゆう)す。ただ妄想(もうぞう)・執着(しゅうぢゃく)あるを以(もっ)ての故(ゆえ)に証得(しょうとく)せず。」と発(はっ)せられたと伝えられています。
 自分都合に想像したり、事柄(ことがら)にとらわれたりする自分の未熟を自覚することは、悟りへの大きな一歩となるでしょう。

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